2015年 8月 の投稿一覧

今の時期になると思い出す競馬場デート

小学校までは公立でしたが、その後は私立の女子校一直線だった私にとって、大学の友達に誘われて入った合コンで出会ったかつての彼は、今思い出しても、とても新鮮な人でした。何が新鮮かというと、洗練さなどは皆無、年頃の女の子が好む、おしゃれな雰囲気とは程遠い人でしたが、お金がないなりに色々な工夫をして、世間知らずな私を楽しませようとしてくれました。その一つが競馬場デートです。
最近はこの言葉をよく聞きますが、当時はまだ一般的ではなかったと思います。しかも、保守的な家庭で育った私は、競馬はギャンブルというイメージが強く、待ち合わせをしたところで、今日は競馬してみないと言われた時、若干引きました。でも、彼がこういうことを言う時は、何か考えがあるのだろうと思い、いいよ、やってみようと応じました。
いざ競馬場に着いてみると、私が思っていたイメージ(紙くずが目立つようなところで、缶ビール片手に競馬新聞とにらめっこみたいな感じのもの)のものではありませんでした。若い人もいて、それなりに綺麗でした。競走馬も近くで見ることができたのですが、思いのほか大きくて、毛も筋肉も、どこを見てもお手入れが行き届いていている動く芸術品でした。
彼はというと、驚き喜ぶ私を横で見ながら、嬉しそうでした。馬券をそれぞれ1枚ずつ買って、レースを見ました。私が選んだ馬は駄目でしたが、彼が選んだ馬は1等になりました。すると、彼はちょっと待っていて言って、どこかに行き、勝ち分からと行ってソフトクリームを買ってきてくれました。本当に、ただそれだけのデートです。でも、楽しかったし、幸せでした。
その後、私たちは別れました。原因は私にあります。若かった私は、彼が計画してくれる温かなデートよりも、友達がしているおしゃれでスマートなデートに憧れるようになり、彼と別れました。何というお馬鹿さんかと思いますが、当時のお馬鹿さんな私がいるから、今の私がいるとも思っています。
素敵なデートをありがとう。この時期になると、いつも心からそう思います。

競馬は見ている分にはけっこうおもしろいです

競馬と言えば、見ている分にはけっこうおもしろいのではないでしょうか。私は競馬場には行ったことがありません。と言うか、パチンコとかでさえ行ったことはないのですが、賭け事と言えば、宝くじでさえ買ったことがないことに思い至りました。そういう人生が面白いのかどうかと言われれば、よく分からないです。しかし、賭け事と言うのはそんなに好きではないということは、たしかなのではないでしょうか。
近ごろ、競馬についての本をドゥルーズの研究者である桧垣さんが出しておりました。嵌ってしまったようなのですが、どうなのでしょうか。ドゥルーズに関する研究はけっこう進んでるようであり、國分氏の「ドゥルーズの哲学原理」とかで、一般人にもそれなりには彼の哲学が分かるようになったのではないでしょうか。それまでは宇野氏やら丹生谷氏やらの文体までドゥルーズを真似たものが出回っており、当然のことながら、その帰結として全くと言っていいほど意味の分からないものとして、止まっておりました。
しかしながら、今となっては、訳が分からないから意味があるのではないかというような進行は影をひそめてしまいましたから、理解可能な形で書かなければ、一般人には読んでもらえなくなったというのがあるのではないでしょうか。ですから、國分氏のような分かりやすいテクストが現れたのでしょう。
しかし、ドゥルーズとそのような賭け事とは、いかなる関係があるというのでしょうか。私にはよく分かりません。ドゥルーズの本はけっこう読んでいるのですが、正直なところ、一言一句分からないままに、ドイツの社会学者であるニコラス・ルーマンに移ってしまいました。ルーマンであれば、とりわけ初期であれば、そんなに訳が分からないというほどではありません。
ルーマンであれば、賭けといったものをそこから論じる余地はないでしょう。もちろん、偶発性というのは彼の根本的なタームではあるのですけれども。